君が好きだと言いたくて。
| まだ日が落ちるのは早い、1月。夕闇空に息が白くくもる。
話がはずんだ放課後の、すっかり暗くなった学校帰り、 それでも、アーサーと菊はバス停で話をしていた。 「まじ、あの先生の話はパねぇよなぁ。」 「ええ。酒池肉林...を連呼する先生、今までにお会いしたことはありませんね。」 どうでもいいような話題が続く。 ただ笑いあう時間を共有することが、アーサーにとってたまらなく楽しい。 菊の鈴の鳴るような笑い声はアーサーの耳には心地よく、その為に 時には、柄にもないような皮肉をきかせないジョークなども飛ばしたりしていた。 「なかなか、バス来ませんねぇ。 待たせてしまって、すみません。」 ハァっと、冷えた指先に温かい息を吹きかけながら、菊は申し訳なさそうにそう言う。 「べつにかまわねーよ。 てゆーか、俺が喋んのに付き合わせちまったせいだし。 ...すまねぇ。」 腕時計の短針を見やると、ちょうど7の文字を過ぎたところだ。 さすがに付き合わせすぎた。 アーサーはばつが悪そうに、自分のポケットの中のカイロを菊の掌に乗せる。 正直なところ、今日は菊に言いたいことがあったのだった。 だが、それはすぐに言えるようなものではなく、 この数日間、言いだすタイミングをはかるのに、アーサーを悩ませていた。 礼を述べながらカイロを受け取った菊をちらりと見ると、 視線はちょうどそのつむじあたりに落ちる。 空気に冷えた黒髪は、ライトに照らされて美しい輪を描いていた。 風が吹くたびに、それはさらさらと甘い芳香を漂わせる。 流れる黒髪、マフラーからのぞいた曲線を描く白いうなじ。 世界が白と黒で形成されていく。 アーサーの視界は、囚われたようにそこで停止してしまい、 けれども鼓動は、弾かれたように加速度を増しだす。 “好きだ”“好きだ”“好きだ” 突如、一日中、口にしたかった言葉が脳内をループしだした。 そして、想いが拍動にリンクしていく。 “好きだ”“好きだ”“好きだ” 吐息は小さく連続的で。なのに、声にはならない。 指先までが心臓になってしまったような感覚に陥ってしまう。 戻ってこない会話の続きに気付いた菊は、アーサーを見上げた。 「どうか、しましたか?」 無防備な微笑みで。 そのとたん、急激に世界は動きだした。 モノクロだった目の前の景色が、ぐちゃぐちゃに染まる。 「べ...別になんでもねぇよ!お前には関係ねーだろ!!?」 混乱したアーサーの口をついて出た言葉は、言いたいこととは全く真逆の物であった。 突然の苛立ったような口調に、菊の視線が戸惑いに揺れる。 「あ....」 アーサーは我に返ったが、「すみません」と小さく謝る菊に、言い訳の言葉すらでてこない。 「 ..なんでお前が謝るんだよ. . ..。」 いっそのこと、悪態を重ねてしまったのだった。 吐息だけが交わされる、バスを待つ時間。 言いたかった言葉は、体内の奥底へ落ち込んでいく。 そうしているうちに、バスのライトが二人を照らした。 「来たみたいです。」 「あ...ああ...」 エンジン音をたてながら、バスが停車する。 少し斜めになった車体の入り口に足をかけると、菊はアーサーを振り返った。 「では、また明日。」 かわらぬ、穏やかな微笑み。 「あっ 。 あのな... 本 田 っ」 「はい?」 ブーっと、無情にもバスの扉はブザーを響かせながら閉じてしまう。 瞬間、 「ごめんな!!!!!!」 その言葉だけは、閉まりきる扉の間をすり抜けて、菊の耳に届いたのだった。 菊は嬉しそうに小さく微笑んで、アーサーに手を振る。 バスはまた、エンジン音をたてながら発車したのだった。 一人、佇む。空気は二人でいる時よりも冷たい。 なのに、掌だけは妙な熱さを帯びていた。 バスの背が視界から小さく去っていくのが見える。 鼓動が、また回転数を上げて心臓を跳ねさせる。 アーサーは感情に追い立てられるように、勢いよくその場から駆けだした。 *** 温かい車内。鞄の中から携帯の小型音楽機器を取り出す。 菊がその耳にイヤホンを入れようとした時だった。 「やだ!あの男の子、バスを追いかけてきてない?!」 後方の女性客達の声が響いた。 (男の子??) 菊の頭にハテナが浮かぶ。 もう人の少ないバス内の中、菊はずれ落ちる鞄に慌てながら席を立ち、 後方に向かって駆け足で移動した。 *** 「ちっ く しょーーー...。なんで人、いねぇんだよ...」 ゼェゼェと荒れる息に舌打ちがまじる。 上手くいけば次の停車場で乗り込めるかと思ったが、バスは信号にもひっかからず、 次の停車場に人もいなかった為、そのまま速度を下げずに走ってしまっていた。 「次...こそは ... !!!」 また、走り出す。 夜道に響くのは、自分の呼吸と鼓動と衝動と感情。 “好きだ”“好きだ”“好きだ” 不思議なことに、頭の中は先ほどよりも余裕がある。 走りながら、苦しいのに、なぜだかアーサーの口には微笑みが浮かんでいた。 “好きだ”“好きだ”“好きだ” 「俺 は ..おまえ が .. っ 」 呼吸の合間につぶやきが零れる。 アーサーは、バスを、菊を追いかけて、ただひたすらに走り続けた。 *** 「すみません!すみません車掌さん!私、降ります!ここで降ります!!」 菊はバスの窓から見やった“男の子”がアーサーだったことに気づき、 急いで運転手に駆け寄った。運転手は、手を止めずにチラリと菊を見る。 「友人が追いかけてきていて...どうか、お願いします!!」 次の停車場までは、まだかなり距離がある。菊は懇願した。 何度も何度も頭を下げられ、ついに観念した年配の運転手は 「今回だけですよ。」と、ため息をつきながら、ブレーキをゆっくり踏んだのだった。 *** 運転手にもう一度お辞儀をして、菊はそのバスを降りる。 軽く片手を上げた運転手が走らせたバスの、その数メートル後ろ。 全身で呼吸しているかのごとく大きく上下に揺れるアーサーが、息を整えていた。 「... よ っ!」 一生懸命、まともな顔を作ろうとするが、酸素を必要とする呼吸器官がそれを許してくれないらしい。 「大丈夫ですか??!」 慌ててアーサーの傍へ走り、菊は背中をさする。 「どうしたんですか?一体...」 そして、背中を丸めるように息をしていたアーサーを、菊が覗きこんだ時だった。 突如、力強く広げられた腕に勢いよく菊は抱きしめられる。 「 う わぁ っ?!」 そのままバランスは一気にくずれて、二人の体は路上に転がってしまった。 「い、 った ぁ...」 菊は頭をコンクリートでぶつけてしまったようだ。 「アーサー...さん?」 突然の出来事と痛みに、頭がクラクラするが、 いまだに呼吸の整わないアーサーのほうが心配になり、菊は声をかけた。 それでも、返事は返ってこない。 ぎゅっと抱きしめる力だけが、強まる。 コンクリートにあたる背中は冷たいが、抱きしめられた体は温かく。 菊は、体ごしに見える星空に温かい一息をとばすと、 すがる赤子をあやすように、アーサーの背中を優しくさすり続けた。 数分たって、ようやくアーサーの呼吸が落ち着いたらしい。 それでも無言は続いていたが、ふいに、少しだけ腕の力が弱められた。 話し出したのは、アーサーだった。 「ほ...じゃなくて、菊。」 「はい?」 「あのな...」 「なんでしょう」 短いやり取りが繰り返される。 「俺、な...」 「はい。」 続きを待つように、菊が瞳を閉じた瞬間だった。 突然、アーサーはその手をほどくと、驚くほどの速さで立ち上がった。 「...え??」 取り残された体温に、菊の表情にはまたハテナが浮かぶ。 そして、アーサーは菊に背を向けると、月に向かって叫ぶように吠えた。 「俺はお前が...。 俺は、お前が...。 お前のことが、 好きなんだーーーーーー!!!!!!!!!」 走った後以上に荒れた呼吸をそのままに、今度は威張ったように肩をいからせ、 アーサーは後ろで座り込んでいる菊を振り返った。 「菊。俺はお前が好きだ。好きだ。好きだ。好きだ!」 何度も何度も繰り返す。堰を切った言葉は、とめどなく溢れた。 必死なその姿は、妙に可愛らしく。 菊は呆れた顔を笑い顔にかえて、笑い出してしまう。 「あ あは あはは...」 「な、なんだよ!笑うなよ!!」 チェっと拗ねたように舌打ちをするアーサーに、またもや菊は笑ってしまった。 「...で?」 「はい?」 「だーかーらー!!」 「はい。」 せかすアーサーに、からかうように菊が焦らす。 アーサーが乱れた髪をさらにかき乱していると、菊は立ち上がり、 ズボンとコートについた土埃を払いながら、アーサーの目前に立った。 「お、おう。」 なぜかどもりながら息をのんだアーサーに、何度目かの微笑みを投げかける。 そして、そっとアーサーの手を取ると、菊は自分の頬にあてた。 「告白の言葉、真にありがとうございます。」 アーサーの掌の熱が、さらに温度を上げていく。 間近に感じる菊の吐息、視線、体温。 菊にまでも伝わる、アーサーの拍動。 それをじっくり己の頬で堪能するように瞳を閉じると、 菊はそっと唇だけを動かした。 「私も、 あなたのことが...。」 閉じられた瞳が、アーサーだけをとらえるように開かれる。 「あなたのことが、好きですよ。 アーサー さ ん 。」 月が傾き、降り注ぐダイヤモンドのような星空の下、 二人の吐息だけが、白く暗闇を彩る。 菊はアーサーのコートに包まれるように、その体を預けた。 声にならない言葉のかわりに、アーサーはその身を強く強く抱きしめると、 憧れてやまなかった、菊の甘やかな黒髪に鼻をうずめたのだった。 『...本当に、好きなんだからな。』 『はい。』 ■END■ |
20100122